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ヨコハマポートサイド街づくり協議会 since 2014-02-18

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ヨコハマポートサイド地区

1981年7月 都心臨海部総合整備基本計画発表


1981年は、ロナルド・レーガンが第40代アメリカ合衆国大統領に就任し、中国では文化大革命が完全に否定され(中国共産党第11期6中全会)、今日に至る道筋が敷かれはじめたという年です。
国内では、神戸市ではポートピア’81が開催され、日本初の新交通システム(通称「ポートライナー」)が、その神戸市で営業を開始し、トヨタ自動車によって発売された高級スポーツクーペ「ソアラ」が社会現象ともいえる話題を呼んだ年でもありました。
この年、発表された「都心臨海総合整備基本計画」にあるヨコハマポートサイド地区は、新しいビジネス拠点としての「みなとみらい地区」に対して、ウォーターフロントに立地する住宅街としてイメージされたものでした。


1988年4月 街づくりのコンセプト
「アート&デザインの街づくり」発表


何年かの検討期間を経て、みなとみらい、ヨコハマポートサイド地区ともに、ビジネスあるいは住宅一辺倒ではない、商業や業務とのバランスがとられた複合的な開発を目指す方向軸が採択され、ヨコハマポートサイド地区では、その複合性を支えるもの、つまり住宅と商業、業務といった異なる機能を結ぶバランサーとは何かということが論議されるようになりました。

当時は、例えば「三種の神器(テレビ、冷蔵庫、洗濯機)」「3C(カラーテレビ、クーラー、自動車)」を買いそろえるといった物質的な豊かさを求めてきた時代が頂点に達する一方で、心の豊かさを求める志向へと、じょじょに転換が始まった時代でもありました。

そうした時代の要請を受け、機能的に、生活の利便を向上させるだけでなく、和みや居心地などアンビジブルな街の魅力、豊かさを実感てきでるような街をつくる…そうした願いを込めて、1988年(昭和63年)4月、ヨコハマポートサイド地区は街づくりのコンセプト「アート&デザインの街づくり」を発表しました。

しかしながら、そうした街づくりは、国内はおろか、海外にも具体的な先行事例はなく、まさに教科書なきスタートを余儀なくされたものでもありました。確かに、建物のユーティリティ部分や街路などに作品を設置することなどはすでに一般的になっていましたし、「パブリック・アート」という言葉は、当時の再開発事業において、流行語とでもいえるようなものでした。
しかし、それだけでは、地区内に作品を設置していくだけでアートの街になるのか、高名な建築家のデザインした建物が建つだけでデザインの街になるのかという疑問が残ります。

そうしたことから、1990年(平成2年)ヨコハマポートサイド アート&デザイン専門家委員会を設置し(1994年まで)、アート&デザインの街づくりの具体的な像を明らかにするとともに、いくつかの実験的な試みを行っていきました。

shuu1.jpg左の写真は、シューベルク・プロジェクトにおいての足形採取をしているところです。この作品(インスタレーション)は、固まる直前の石膏ボードに足形をつけ、そこに蜜蝋を流し込んだプレートをつくり、それをタイル状に壁に貼付けるというもので、その「足形」採取に、地権者の方や、当時の工事関係者などが参加しました。現在、作品はロア壱番館1階ロビーに展示されています。

このシューベルク・プロジェクトをはじめ、建物の建設現場自体を作品化する試み、工事現場を囲うフェンスをカンバスにして作品を発表する試み。アーティストと地区内の地権者や市民が一緒になって公園をデザインする試み、また、パブリック・アートとして設置される作品を共同で制作する試みなど、然るべきデザイナーや建築家の方々にそれぞれの建物のデザインが委ねられる一方、そうした実験的な試みのなかから、アート&デザインの街づくりの実像を掴んでいこうという努力が重ねられてきました。

GOLD-3.jpgあるときは工事現場のクレーンが,突然ライティングされたり、また、あるときは空き地にテントが張られ、そこでシンポジウムが行われたり、デザインについての展示会が行われたり、景観としては「工事中」の間から「アート&デザインの街づくり」は、一歩ずつですが、確実にその歩みを始めていました。当時は、そうした単発のイベントが行われているだけのように受け取られていたのかもしれませんが、そうしたことを積み重ねていくことによって「アート&デザインの街づくり」の像が明確になっていくことを願って、様々な事業が続けられていました。

→ 横浜クリエーションスクエア(ycsビル)建築中に、工事に使用されていたクレーンを写真家田原桂一氏が光で装飾した「GOLD CRANE」プロジェクト。


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上の写真は1988年当時のヨコハマポートサイド地区の様子を写したものです。まだ、ほとんどが空き地か、あるいは暫定的な利用が行われている状態。一部には再開発事業によってリニューアルされる前の建物も残っています。この頃は、まだヨコハマポートサイド地区という地域の名称もあまり知られておらず、ここにアート&デザインの街づくりが行われようとしていることも、ほとんど知られていませんでした。















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シューベルク・プロジェクトで制作されたプレートの1枚。こうした、地権者、当時の工事関係者の足形が集められ、ロア壱番館エントランスの壁に埋め込まれている(石膏、足形には蜜蝋が流し込まれている)。



これからの 街づくり


1994年3月 E1及びE2、E3街区竣工記念式典開催


1989年3月、現在のソフトバンクIDC横浜データセンターの建物が完成。その後、先行街区としてE1からE3街区の建物が竣工した1994年(平成6年)3月、地区の本格的な始動を記念し、オープニングセレエモニーが行われました。
今もE-2街区の広場にあるエットーレ・ソットサス氏の作品「THE FAMILY」、ギャラリーロード沿いに設置されている岡本敦生氏のプロデュース作品「地殻から」などの作品も、このとき設置されたものです。また、オープニング・セレモニーに併催されるかたちで第1回目の「アート縁日」も挙行されており、今日に繋がるヨコハマポートサイド地区の像が、ようやくかたちとなって表れたのが1994年だったということができました。


これからがコミュニティ・メイキング


2011年4月にB-1街区の大塚商会横浜ビルが竣工する、2013年8月にF-2街区のプレミスと横浜ポートサイドと、概ねの街区の建物計画は終了します。しかし、街としては、これからが本格始動期。すでにこの街に15年以上お住まいの方も含め、多くの住民のみなさんが暮らし、同様に就業者でにぎわう街になっていきます。まさに、ハードからソフトへ。暮らしのある街としてのヨコハマポートサイド地区に、どういった「アート&デザイン」を薫らせることができるかということが、新たな課題になっていきます。

そうした状況を踏まえ、ヨコハマポートサイド街づくり協議会では、発足以来15年近くを経過したヨコハマポートサイドまちづくりトラストのあり方なども含め、これからのヨコハマポートサイド地区にふさわしい「アート&デザインの街づくり」のイメージを明確にし、それを実現するためにふさわしい組織のあり方などを検討するため、2008年度、09年度と調査を実施しました。

当協議会が発足した当時、都市の生活利便の検討対象として必ず「公衆電話」の設置ということが論議になりましたが、もはやそうしたことは過去のものになりました。「インターネット」というものの存在が、こんなにも社会のあり方に大きな影響を与えるということも、当時は想定することすら困難であったということができます。同様に、地球環境への配慮ということも今ほどに高い関心は持たれていませんでしたし、少子高齢化の問題についても、今日ほどの切迫感は持たれていませんでした。

そうした社会状況の変化にどのように対応し、暮らしのある街としてのヨコハマポートサイド地区にふさわしい「アート&デザインの街づくり」を明確にしていくこと。そのために具体的な活動方針を見極めていく必要がある…私たちは今、そのように考えています。

建設現場から「アート&デザインの街づくり」を始める。地権者企業が開発コンセプトを共有し、それに積極的に参加する。スポット的な活動ではなく、間断のない、継続的な活動を実現する…そうした試みを続けながら、ヨコハマポートサイド地区の街づくりは、一歩ずつ歩を進めてきました。

これからも小さな一歩を重ねながら、時代の趨勢と対話し、着実に街づくりを進めていくこと。きょうも、一歩ずつ「アート&デザインの街づくり」が進められています。






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上の写真は、先行街区のオープニング(1994年)を目前にして、横浜クリエーションスクエア(ycsビル)、ロア壱番館、アルテ横浜を結んで行われた、海藤春樹氏によるライティング・プロジェクト。